2015-06-24

Ferdinand Meets Gerrard: Q&A


Rio Ferdinand meets Steven Gerrard! リオ・ファーディナンドがまもなくLAへ向かうスティーブン・ジェラードにインタビュー。元ライバルに打ち明ける。イギリスBT Sportにて今夜放送予定のインタビューを一足早くお届け。

On Debut

Ferdinand: 若い頃に "本来のポジションを外れてる、実力を発揮できていない"なんて言ってたよな?

Gerrard: ジェラール・ウリエには、最初右ウィングバックでプレーしろと言われて、先発デビューしたトッテナムのアウェイ試合もそうだった。ダヴィド・ジノラを相手することになって、俺には全く敵わない相手だった。彼はパワフルすぎて、速すぎて、強すぎた。そこで俺には無理だって感じたから、中盤でプレーさせてほしいって思ったんだ。あの頃はウリエと個別によく話をする機会があった。そこで彼に"お前はここ1年半間違ったマネージメントをされてきている。ジムワークが足りない。脚力と基礎体力、上半身をもっと強化しろ。今のお前の体は相手に適う強さとサイズがない。才能と力量はあるが、今後半年はまずピッチ外でワークアウトして子供のお前を大人の男たちと戦える男にする。"って言われた。だから体作りのためにジム通いが始まった。

On Childhood heros

Ferdinand: プロのサッカー選手になりたいと思うきっかけになった憧れの選手はいた?

Gerrard: ジェイミー・レドナップとポール・インスに憧れてた。その前にはジョン・バーンズ、スティーブ・マクマホン、ロニー・ウィランだったな。でもそのうちに彼ら相手にプレーしたいって思うようになって、練習でも彼らと戦いたいって思ってた。だから最初は彼らのことは、チームメイトっていうより自分の目標として見てた。

On Captaincy

Ferdinand: 2004年にジェラール・ウリエにずっと応援してきたクラブのキャプテンに任命されたわけだけど、どう感じた?

Gerrard: あれは俺には早すぎたよ。リバプールのキャプテンとして、チームの敬意をもらえるだけの存在感があるとは思えなかった。でも監督は逆手にとっていて、俺が早く成長し上達するために適期だと思ってそうしたんだ。安定して数年キャプテンを務めていたサミ・ヒーピアからキャプテンバンドを奪うのはちょっと気が引けたよ。

On Managers

Ferdinand: トロフィーを一つも獲得できずウーリエは04年に去った。君がクラブの方向性に不満だって騒動も出ていた。その後ラファ・ベニテスが就任して、偉大な成功が続いたな。

Gerrard: 01年に成功を収めたあとは、このままプレミアリーグのトップに迫ることができるって感じていた。でもワールドカップの後に獲得した選手をみると、エル=ハッジ・ディウフやほか数人、こんな補強でレベルアップできるのか?って思ったわけ。彼らは活躍しなかった。当時は俺自身未熟だったこともあって、こんな補強じゃ成功しないって正直に言った。それでリバプールに不満を覚えているって騒がれたんだ。君もわかると思うけど、マンチェスター・ユナイテッドやリバプールのようなビッグクラブでプレーしていると、トロフィーのない年が続くとどんどんトップとの差が開いて、落ちていくのを実感する。何か変えなくてはいけない。


Ferdinand: リバプールで一番好きな監督は誰だった?

Gerrard: 愛とサポートという点では絶対ウーリエだよ。彼は父親のような存在だった。ピッチ内外で本当にお世話になった。ブレンダン・ロジャーズとも上手くいっているし、彼は素晴らしいマンマネージメントをする。ロイ・ホジソンもね。だけど俺の長所を一番引き出してくれたのはラファだった。彼には気に入られているのかどうかよくわからなかった。彼に気に入られているかな?パフォーマンスに満足してくれているかな?って練習も試合も彼を満足させたいと必死だったよ。

On Jose Mourinho

Ferdinand: チェルシーが関心を示してたね。ジョゼ・モウリーニョのもとでプレーしなかったことに後悔はない?彼は多くの国で多くのトロフィーを獲得してきている監督だ。

Gerrard:彼の事は監督としても人としてもすごく好きだ。彼とは長年距離のある関係を保ってきた。でも彼のもとでプレーできなかった後悔はある。彼なら俺をもっと良い選手にしてくれただろうと思う。きっとトロフィーのコレクションも増えていただろう。でも今振り返って、チェルシーとサインしなかったことにひとかけらの後悔もない。自分の決断は正解だった。自分の生まれ故郷であるリバプールとの関係。リバプールではトロフィーから遠くて不足の年もあったけど、俺はトロフィーの数だけがすべてじゃないと思う。思い出や愛、その深さにも意義がある。リバプールで5個のトロフィーを獲得するのとチェルシーで10個のトロフィーを獲得するのとでは重みが全く違う。

Ferdinand: 言いたいことは分かるよ。ロイヤルティ(忠誠心)だよな。近頃はあまり重要視されなくなったかな?

Gerrard:今後そういう選手が増えるとは思えない。移籍が当たり前の時代だ。経済的な規模を考えても、選手たちは移籍する機会がどんどん与えられて、移籍が楽になってる。移籍をするか否やで俺がリバプールに残るという決断に至った要因はリバプールファンである父親、兄、友人だった。大事な存在である彼らとリバプールの成功を一緒にシェアできる喜びは、分かる人にしか分からないさ。

Ferdinand: そういう決断に至った理由や正しい決断だったと今誇りを持って言える理由はよくわかった。

Gerrard: 俺はリバプールをひいきしてるから、試合でもクラブを想い過ぎたことがある。でもどこかへ行ってたとしても、リバプールに帰って、リバプールの試合を観たいと思うだろうってわかってた。今後ずっとシーズンチケットをもらえるから、移籍をしてたらその権利もなかったかも。8歳からずっと応援してきたクラブだ。手放すことはできなかった。


On Rivalry

Ferdinand: 君がユナイテッド戦でカメラにキスをした試合。あの試合の1か月後にテレビでまた見たときにはTVに殴りかかりたかったよ(笑)。

Gerrard: あれは自分で観たときにも、ユナイテッドの選手全員が俺を殴りたがってるだろうなって思ったよ(笑)。まああれは冗談半分でやったことだ。俺はそういうタイプの選手じゃないってみんな知ってる。でもあの時はピッチで君らをイラつかせる方法を考えたんだよ。これまでこらしめられていたことを思うと3-0で勝った時のドレッシングルームの盛り上がりようといったらすごかった。"Yeeeeees!"ってみんなの叫びが響き渡ってたはずだ。リオはトンネルでダニエル・アッガーにぶつかりにいったろ。ああいういうことはライバル間では起こるもんさ。そういう状況で反応しない選手は、こういう試合で勝ちたいという貪欲さに欠けるってこと。

On the 2013/14 season and THAT slip

Ferdinand: 辛かったというと2013-14はリーグ優勝に迫った。テレビで観たマンチェスター・シティ戦後の円陣を覚い出すよ。君がチームへ見せたあの威厳を見て、このチームいけるかもって思った。で、あのチェルシー戦の事件…

Gerrard: スリップしてしまったあのチェルシー戦は、試合通して俺たちの戦術的なアプローチが未熟だった。チェルシーに食ってかかったんだ。あの試合の前にプレーした対戦相手は楽に勝てた。ルイス・スアレスとダニエル・スタリッジが止まらなかったからね。ラヒーム・スターリングもそこに加わって、俺も調子が良かった。その勢いでマンシティ戦を迎えて、リードして、コントロールした。追いつかれても最後まで戦い抜いた。みんなですべて出し切ったあの試合の後の円陣は純粋に感情から自然に出たものだった。あの時点では自分たちの手で優勝を掴めるって感じてた。肩を組んで、まだ戦いは終わっていないって選手たちに伝えなくちゃって思ってやったんだ。あのときのチームの雰囲気は最高だった。



On the Chelsea game

Gerrard: チェルシー戦は、全くブレンダンのせいではないんだけど、それまでと変わらない戦術だったんだよ。チェルシーは数人選手を変えてくるだろうと聞いてたし、勝てる自信はあった。でもモウリーニョの力を甘くみていた。彼は完全にゲームを潰しにきた。そして潰して帰った。とても勝てない相手だった。完全無欠だった。しかも彼ははっきりリバプールのお祭りを台無しにしに来たと言っていた。

悪いタイミングでスリップ事件が起きた。個人的に苦しむことになった。もしもあの時に俺が滑ってなかったら、って考えない日はない。結果が変わってただろうか?何か違うことが起きてたかな?って。いくら考えても答えはわからない。でも俺たちにはドローに持ち込めるだけの時間はあった。でも俺自身もチームも優勝争いの経験不足だった。悲惨な出来事を埋め合わせようと頑張ったけど、見失ってしまった。コントロールを失ってやる気だけだった。同点弾を取るためにもっと考えてプレーをするべきだったと思う。

非難はつきものだし、それに耐えられる強さは必要だ。叩かれることは怖くない。そう言われることも理解してる。でも心の中ではすごく俺は傷ついている。ずっとこれからも残る辛い出来事だ。"あのときにリーグ優勝できてたら、有終の美を飾れたのに"って思う。でも最後の飾りがなくとも素敵なキャリアを積むことができたというのが救いだ。期待されていないチームで夢にもみていなかった夢を叶えることができた。労働階級出身の少年にとって信じられないほどの思い出ができた。一生忘れることのない良い思い出をね。でもリーグ優勝できなかった悔いは死ぬまで消えないと思う。もし優勝できていたら、思い描いた夢すべて達成できたのにって思うと辛いよ。

On Luis Suarez

Ferdinand: リバプールはスアレスの穴を埋められたと思う?

Gerrard: いいや。というかもともとできっこないって思ってた。フェルナンド・トーレスが去った時でさえ、彼の穴をすぐ埋めるのは無理だって思ってた。どこからともなくスアレスがやってきた。当時彼の事はほとんど知らなかったけど、彼は超越した選手だった。ルイス・スアレスの代わりになる誰かを獲得するとなると、無限大のキャッシュが必要だ。それにその選手がチャンピオンズリーグのないクラブでプレーしたがるか?スアレスの穴埋めは大変だ。スタリッジはとんでもない選手だし、彼はトーレスやスアレスのようになれる力を持ってる。でも常にフィットしてない。

On being benched in Madrid

Ferdinand: リバプール対レアル・マドリードを観たよ。両クラブの歴史を考えると待ちきれなかった試合だ。その試合でベンチに座ってる君を見て、俺だったらどんな気持ちになるだろうって考えた。キャリアで最後のチャンピオンズリーグの試合かもしれない上に、対戦相手はレアル・マドリードだ…

Gerrard: 俺の気持ちわかってるだろ。あの時ちょうどブレンダンに試合数を減らすと言われたあとで、キャリアの次のステップについて考えているところだった。"体調管理をしなくてはいけない。常にフレッシュでいてもらうために、週に3試合もプレーしたら疲れが出てしまうかもしない。"とか言われた。だけどあの時の状況はちょっと違った。相手がレアル・マドリードだったから俺はプレーしたかった。チームのためだからって先発を外されて、ブレンダンとの関係からその選択を受け入れた。だけどプレーしたかったから、ベンチで本当に落ち込んでた。あの出来事が移籍して違うことをしてみようっていう決断を後押ししたよ。

On his rivalry with Keane and Vieira

Ferdinando: ピッチに立って、"この俺を止められるか?誰にも俺様に敵う奴はいない!"って思ったことが幾度かあったろ?

Gerrard: そこまでは行かないけど、たとえばユベントスやインテル、レアル・マドリード戦で勢いでそういう想いを抱いていたことはあった。そういう自分を思い描いて気分良くなって、怖い者はいないって思えた。国内ではロイ・キーンやパトリック・ヴィエラ級の選手になりたいって思っていて、彼らには程遠いって感じたこともあった。でも今日は欧州最強のミッドフィルダー二人を合わせたプレーができたぜって試合もあった。確かにそういうじ自信があったときもあるし、追いつけないって思ったときもあった。

On England

Ferdinand: 国内リーグのライバル関係がイングランド代表の不振に影響したと思う?

Gerrard: いくつか派閥がある感じがした。常にチームが馴染むまで1週間程度かかっている感じだった。イングランド代表は、集まってすぐランチして睡眠。お互いシャイになって距離を置いている感じだった。イングランドには、合流してすぐに打ち解けて、一緒にいたいって思える雰囲気が必要だと思う。今のリバプールの選手のなかには、代表に合流する1週間も前から荷物を準備して、代表合流が待ちきれないっていう選手たちがいる。でもイングランドの場合は"8日間もアウェイ遠征か"とか"あの選手のことよく知らないし"とか"俺は話し下手だ"とか言ってお互いに距離がある。



1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こういうの読むと辛いですね
でもまだきっとリバプールでの挑戦は終わってないですよね
いつか帰ってきてコーチや監督として一緒に優勝してくれるはず!