2015-04-04

バベル:果たされなかった約束


“アンリ2世”とも呼ばれたタレントを母国オランダで発揮し、リバプールへの移籍を叶えたライアン・バベル。だが成長を約束したラファ・ベニテスに出場機会はほとんど与えられず、ポテンシャルを開花できないままリバプールを去ることになった。

「自己主張が足りなかった。謙虚過ぎたし、すぐ満足してて、自分よりほかの選手がプレーすることを受け入れてた。今の若い選手たちは前向きな姿勢でキャラクターを持ってる。1、2試合出たらもっと出たいと主張する。俺にはそういう姿勢がなかった。大人しすぎたんだ。揉め事はよくないけど、自分の存在感をもっと主張できる姿勢を持っていたら、試合でも練習でも違う選手になっていたんだろうと思う。」

結果論、母国を離れるのが早すぎたという。ベニテスから約束された成長はできなかった。

「絶対選択を間違えた。オランダを離れるのが早すぎたと思う。あと1〜2年はオランダでプレーして成長すべきだったのかもしれない。でもこういうことも起きるもの。移籍前にラファ・ベニテスはアヤックスと同じような成長ができると俺に約束した。ひとつだけ変わるのはゲームのスピードだって。そう聞いた時には、アヤックスと同じようなスタイルでさらに早い成長ができるって思った。彼はいい指導をするし、クラブ全体で世話をするって言ってた。だから移籍はマイナスにはなり得ないって思ったけど、移籍してすぐ、ひとりぼっちじゃんって思った。辛かったよ。」

「オランダでは監督に話をしたいときにはオフィスに行ってプレーできない理由などを尋ねると、きっちり説明をしてくれていた。でも彼は'黙って一生懸命仕事をしろ’っていうタイプで請け合ってくれなかった。当時は俺は、その仕事をしろって何をどうしたらいいのか知りたかった。彼に'もっと守備をしろ'って言われときには、その通りに練習した。それでもプレーさせてもらえず、他の選手のほうが攻撃がうまいって言われた。困ったよ。ああいったらこういうっていう。結局ストライカーとして成長する機会はもらえなかった。助けも指導ももらえず、信頼されていないって思った。」

2010年夏、クラブがバベルを放出しようとした通称'バベルコプター事件'の真相を明かした。

「あの移籍市場の最終日、コモリに呼ばれてカールトン・コールを獲得したいから、トレードでお前がローンに行けって言われた。'ウエストハムに行けるぞ'ってね。レギュラーでプレーできたらもっと自信を持てるようになるって思って、悪くないって思ったんだけど、市場が閉まるまであと6時間しかなかった。ヘリコプターでロンドンに飛ぶから空港に来いって言われた。俺はフライトが苦手だから緊張したよ。揺れまくって怖かった。空港からコモリとタクシーに乗って、彼はすぐ電話をかけた。そこで“お前は5年契約にサインしろ。我々はコールを買う。”って言われた。俺はもともとローンだったのが5年契約なんてと困惑したから、代理人に電話したら、絶対ダメだって言われた。結局交渉は成立せず。俺は電車で、コモリはヘリコプターで帰った。あれ以来、バベルコプターは移籍市場が開くたびにTwitterで騒がれてるよ。」

チャリティマッチでアンフィールドに帰ってきたバベルは、若手を信頼する現ブレンダン・ロジャーズ監督に会った。ロジャーズが監督だったらと願わずにはいられない。

「彼が俺がリバプールにいた時の監督だったら、俺にぴったりの監督だっただろうね。次のステップへの成長を助けてくれていたと思う。」

independent



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