2015-05-12

コウチーニョ:成功の秘訣


CNN掲載記事:Philippe Coutinho: The secret life of 'O Mágico'

2014年4月13日、マンチェスター・シティ戦前にフィリペ・コウチーニョが待ちに待った順番がやってきた。ブレンダン・ロジャーズ監督がコウチーニョ母が息子に宛てた手紙を試合前に読み上げた。プレミアリーグ優勝に迫るという期待以上の成功の裏には、監督の前代未聞のコミュニケーションがあったのだ。

「母からの手紙を監督に読んでもらう番が来るまですごく緊張してた。ずっとずっと待ってたんだ。監督は選手全員の母親と話をしていた。昨シーズンの数か月間、試合前には毎回チームの一人の選手の母からのメッセージが読み上げられていたんだ。ついに僕の番がやってきたんだよ。」

「監督が手紙を読んでいる間は自分の母からだとは気付かなくて、名前が出た時に母だと分かった。感動したよ。僕を愛していて、誇りに思う、寂しいけどいつも心は一緒だって言っていた。もっとあったけどそれを聞けただけで感情が溢れ出た。ほかの選手も感動していた。どの選手の親からでもみんなを感動させ、奮起させてくれた。力強い母親たちからの言葉がチームをさらに強くしてくれたんだ。」

手紙をもらったこの試合でコウチーニョは、のちにルイス・スアレスがシーズンベストゴールに選ぶゴールでチームの勝利を決める。リオデジャネイロ北部の町ロチャで、2人の兄とともに生まれ育ったコウチーニョ。何よりも家族を大事にするコウチーニョにとって、ロジャーズの秘策が大成功。兄弟と一緒にフットサルをしてサッカーを身に付けたコウチーニョは、その限られたスペースでスキルを磨いた。祖母の薦めにより地元のサッカーチームに加入。その活躍を観た名門ヴァスコのコーチにクラブでのトライアルを勧められた。

「地元のチームに入った日は、シャイだったからプレーしたくないって泣いてた。みんながお互いを知っている仲だったから、人見知りだった僕は居心地が悪くて、恥ずかしかった。時間が経てば慣れてモチベーションが上がったけどね。プレーができるようになったときにはすべてうまく行ってた。シャイでもなくて、プレーを楽しむことができるようになった。」

家族、そして現在の妻エインの支えがあり、16歳でイタリア強豪インテルからオファーを受け取る。その後2年間はヴァスコで成長することを選んだコウチーニョは2年後に家族と妻と共にイタリアへ。

「家族と妻が一緒に来てくれたことで早く慣れることができた。彼らにとっては辛かったみたいだけどね。両親は年齢のせいで言葉を学んだり、新しい文化に慣れるのにも苦労していて、僕のようにはいかなかった。エインは生活習慣すべてを変えなくてはいけなかった。父は仕事を辞めて一緒に来てくれたんだ。でも多忙が好きな父だったから辛かったよ。結局両親はブラジルに戻って、妻との二人暮らしになった。」

 17歳でコウチーニョの新生活を助けるためすべてを残して一緒にイタリアへ移住した妻エインにコウチーニョは惚れ込んでいる。今でもできる限り試合の応援にきてくれる。コウチーニョはゴールを決めれば彼女に向かってセレブレーションのキスをする。幼馴染みから親友、そして人生のパートナーとなった彼女との二人の馴れ初めを語った。

 「エインは僕にとって本当に大事な存在。学校が一緒だったわけでもないし、共通の友人はほとんどいなかった。1人だけ共通の友人がいて、その友人が開いたパーティに行ったのがきっかけ。そこで出会って、ずっと話をしてた。お互い好印象だったけど、それ以上は何もなかったよ。最初にボーイフレンドになってと言ったきたのは僕ほどシャイじゃなかった彼女だった(笑)。特に付き合い始めたっていう瞬間はなかった。同じ町に住んでいたから、会う機会が増えて、一緒にいる時間が増えて、一緒に出掛けることが増えて、仲良くなって、絆が深まったって感じ。」

サッカー選手を夢見るのはブラジルでは男の子誰もが描く夢。そのなかで突出するには失敗は許されない。

「ブラジルの少年たちはみんなサッカー選手になることを夢見る。生産工場みたいなもんだよ。才能ある選手は無限大にいるから、とにかく全力でプレーしなければいけない。常に自分が失敗すればすぐ後ろに何百万人もの少年が控えているっていうプレッシャーを常に持ってた。でもスキルやテクニックだけじゃなくて、メンタルの強さと意志の強さも大事だってこともわかってた。子供の頃一緒にプレーしていた人で今プロとしてやっている人は1人もいない。ブラジルではサッカー選手って簡単になれると思われがちだけど、終わることのないハードワークが必要だ。」

プロになれると自信を持ったのは13歳の時のこと。

「ブラジルU-14代表に招集されたときに、本当にプロになれるかもって思った。数多くの若い才能ある選手のなかから選ばれたことで、僕は上手いんだ、キャリアとしてやれるって思った。そこからかな、さらに真剣に取り組むようになった。」

夢にまで見たイタリアへの移籍だったが、インテルでの経験は苦いものに。しかしその経験がリトルマジシャンを強くした。

「イタリアでプレーするのは誰もが夢見ていたこと。みんなの憧れの選手たちがプレーする欧州でプレーするなんて誰もが夢見ることだ。イタリアでは苦しんだけど、その経験が僕を強くした。負傷して、試合時間も限られ、思い通りにいかなくて。でもその経験はすごく大事だった。故郷を離れて、自分の力を証明しなくてはいけないっていうキャリアで最も苦しかった期間だった。」

「イタリアで苦しんだ分、エスパニョールにローンに出たときにはわりと早く馴染むことができた。イングランドではペースとフィジカルの強さが最も大事。僕は考えるのは昔から早い方だったけど、プレミアリーグは考えるだけじゃなく、動きにも速さが必要だ。時間もスペースもない。どこでプレーしてもどんな状況でも常に何か学ぼうという姿勢を保つようにしている。だからこれまでの経験すべてが今役立ってるんだ。」

現在バルセロナでプレーする元チームメイト、ルイス・スアレスは自伝でもコウチーニョを大絶賛。

“フィリペは超越した選手。チームを大きく変えた。彼が技術的に優れているおかげで、ボールを持つことに自信が湧いた。彼がボールを失わなければ、何かすごいことをしてくれるとわかっていた。彼は必ずいいところにパスを出す。”
 「彼ほどの素晴らしい友人であり選手からそんな言葉をもらえるなんて最高だ。すごく光栄だ。リバプールのようなクラブでプレーする選手になっているなんて、子供の頃コンクリートでプレしていた頃からは想像もしてなかった。でもまだまだ学ぶこと、やるべきことはたくさんある。」

リバプールでプレーし、中心選手となり、プレミアリーグのベストイレブンに選ばれるまでになるとは、本人も想像すらしていなかった。今ではKOPがバナーを掲げ、'O Mágico(ポルトガル語でマジシャン)' チャントを歌う。

「言葉にできないくらい嬉しい。ほかに感じることのない特別な気持ちになる。歌を聴くのは最高だ。こんなに自分を応援してくれる人たちがいるって感動する。初めて自分の顔のバナーをみたときには鳥肌が立った。全く想像すらしてなかったから。嬉しいサプライズだったし、'O Mágico'ソングを作ってくれたファンに感謝したい。」


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