2015-09-14

ジェラード:ベニテスに嫌われていた


Steven Gerrard My Story

ラファ・ベニテスには人として好かれていなかったと思う。理由はよくわからないけど、そう感じた。俺と彼と交わした最初の会話より前に、彼が俺の母親に会った時からその感情は始まっていたかもしれない。

ラファが2004年6月にリバプールの監督に就任した夏、俺はイングランド代表としてポルトガルでEUROに出場中だった。ラファに交代したとはいえ、ジェラール・ウリエはまだリバプールを愛していたし、ジェラールと俺の仲は相変わらずとても良かった。彼は俺の母親を連れてポルトガルまで試合を観に来てくれた。そこでラファに偶然出くわした。

ジェラールはラファを母親に紹介した。ラファは母と握手を交わした直後に、単刀直入にぶっきらぼうな質問をした。"スティーブンはお金が好きか?”

普通は"はじめまして。お会いできてうれしいです。"のはずだが、ラファは母に対しこんな無愛想な質問をした。なんてことを聞くんだと思った。

これまでのリバプールの監督ら、全員に電話を掛けて、話をすることができる。でもラファだけは例外だ。お互いのキャリアで最高の夜を一緒に過ごした仲ということを考えるとすごく残念でならない。イスタンブールで05年チャンピオンズリーグを勝ち取った仲なのに、俺たち二人の間に絆はない。

彼はスペイン語を話す選手が好きなんだろうと思っていた。特に南米の選手が好きみたいだった。別にそれは構わないし、大きな問題じゃない。ただ記者会見で彼は選手をみなファーストネームで呼ぶのに、俺の事はいつも「ジェラード」としか呼ばなかった。ドレッシングルームでも同じ。チームの名前を読み上げるときも、ほかの選手はニックネームなのに俺だけは「ジェラード」だった。

だからといって「スティービー」って呼んでくれていたらもっといいプレーができたというわけでもない。俺が求めていたのは次の試合を勝つことだし、ラファならたいてい勝利する手助けをしてくれるとわかっていた。彼はリバプールとイングランドでこれまで出会った監督の中で最も戦術に優れたコーチだ。だからその彼が俺を何と呼ぼうと気にしなかった。

もしも今後どこかで出くわすことがあったとしても、嫌な気まずさはない。それにいつかもっと深く、フレンドリーな会話をして、リバプールで共に過ごした時間を振り返ることのできる日がくるかもしれない。

仕事上の関係はウルトラ級のプロだった。彼の冷酷さがもっといい選手になってやろうという気にさせてくれた。彼に褒めてもらいたいという欲があった。でもそのハングリーさが彼に選手としての必要性だけで十分だと思わせたようだ。俺たちは炎と氷のようだった。情熱が溢れ出す俺、戦略的に考えるラファ。

人としてはジェラール・ウリエやブレンダン・ロジャーズのような感じの良い監督のほうが好きだ。でもフットボールの面で言えば冷淡な監督でもいい。ラファ・ベニテスやファビオ・カペッロのように感情のない、疎遠な関係のほうが成功できることもある。自分が監督になるとすれば、そういうスタイルではやらない。俺ならラファの戦術思考とブレンダンのマンマネージメントスキルを併せ持つ監督を目指す。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

2014年?