2015-01-07

ジェラード:ベンチに座りたくない

Getty Images
夏にクラブのキャリアに専念するためにイングランド代表を引退したジェラードは、夏の時点では出場時間が減ることになるとは予想していなかった。そのときオファーがあればサインしていたと明かす。

「もしも契約のオファーがプレシーズンにあったらサインしていたよ。リバプールにすべてを捧げるためにイングランド代表を引退したんだ。クラブでの試合を減らしたくなかった。この2年半負傷記録は良好だし、個人的に昨シーズンはすごく満足いくシーズンが送れた。もしこうだったらとか、でもとか今では後知恵だ。あの夏から11月末の間までに時間ができて、考える時間を与えられた。誰に責任を押し付けるわけでもないし、怒っているわけでもない。ほかにも選手はいるわけで、クラブはほかに考えることはいっぱいある。」

「リバプールFCは8歳のときから本当に素晴らしい対応をしてくれている。クラブは幾度も俺の夢を叶える手伝いをしてくれた。この26年間の思い出と経験は何にも変えられないものだ。本当に自分はラッキーな男だと思うし、自分がクラブに捧げた犠牲、献身、忠実な愛情をすごく誇りに思う。リバプールとは強い絆ができたし、それは永遠に消えない。いつかまたこのクラブで務める日が来れば嬉しい。」

年明け5日に人生最大の決断をしたジェラード。年末に決断をしたばかりだった。

「決めたのは発表の約1週間前のことだ。かなり考えて、分析をした結果の決断。ブレンダンには一番に知らせたかった。チームにとって一番良いタイミングで発表したかった。レスター戦までは黙っておきたいと監督に伝えた。長く黙ってるわけにはいかなかった。1月になれば移籍市場が明けて噂が飛び交うのはわかってた。そうなると監督が毎日のように俺の将来について質問攻めにあってしまう。そうなるのはフェアじゃないって思ったんだ。」

「発表してから、家族も俺も感傷的な日々が続いている。多くのサポーターと同じくね。辛いけど、大事な試合が控えているし、早く気持ちを早く切り替えないとね。まだまだシーズン終了まですべき仕事は残ってる。」

毎週プレーできなくなるとロジャーズに告げられた時に心が揺らいだと明かしたジェラード。いつかは来るとわかっていたお告げだが、予想以上に早かった。

「正直、こんなに早くブレンダンから毎試合プレーできないと言われるとは予想していなかった。1ヶ月ほど前に、俺の試合時間をマネージメントしていくということを初めて告げられた。さらにもう一度2週間前くらいにも同じ話をした。聞くのは辛かったけど、理解はできた。とても円満な会話だったよ。俺がブレンダンをどれだけ評価しているかというのはわざわざ言う必要がないくらいだ。俺たちは非常に良好な関係を築いている。行き過ぎた言葉があったわけでもない。ブレンダンは本当に良くしてくれてる。もっと若い時に出会いたかったという悔いは残るけどね。俺が監督やクラブの誰かの責任を追及することはない。」

「プロとして俺がどういう選手か、何を求めているかはみんなわかってるはずだ。16、17歳から次の試合で90分間プレーできるように月曜日から準備をしてきた。それを楽しみにこれまでずっとやってきたんだよ。1週間かけて必死に準備して、週末にしっかりプレーできるようにしてきた。それが先発でプレーできるかどうかもわからないとなれば同じではいられない。補欠選手には絶対なりたくないと思ってやってきた。ここから試合が減っていけば、来シーズンにはもっと減ることになる。時間が経てば経つほどつらくなるのは目に見える。」

「シーズンの不調は全く関係なくて、ベンチを温める選手にはなりたくないという事実からこの決断に至った。それについてはいろんな意見があると思う。でも俺は毎週出るのが当たり前になっていた俺にとって耐えられないことなんだ。ベンチから時々出てくる脇役の選手にはなりたくない。プレーできること、チーム貢献できることにワクワクする。ベンチやスタンドにいるかもしれないとなると話は違う。」


コーチングスタッフとしてのオファーをすべきだったという声も多いが、その準備はまだできていなかった。

「コーチングの役をオファーされていたとしても変わらなかった。まだコーチになる準備はできていない。まだCライセンスを取得したところで、これから1月末からUEFAのB級ライセンス取得に向けて勉強するところだ。ただ頭を突っ込むだけじゃいけない。コーチでもアシスタントでも監督でも、自分がやれると確信してからでないとならない。」

将来のリバプールの監督候補となっている。それはジェラード自身の夢でもある。

「これからリバプールを離れる間に数年かけて資格を取得して、コーチングについて学ぼうと思っている。その後、引退するときにコーチになるのか、サッカーの世界に残るのかを決める。将来的にマネージメントに関わる可能性はある。それは自分の夢でもあるし、強い願望はある。引退した時にまたリバプールに仕えるポジションがあるといいな。だけどいい選手だったからとか俺はスティーブン・ジェラードだなんていうスタンスで監督になりたくはない。時間をある程度かけて経験を積む必要がある。それから自分はやれるって感じたらその道を行くよ。」

生まれ育った大好きな街のヒーローであるにはいいことばかりではない。しばらく異国の地で息抜きをするのも悪くない。

「サッカーの事だけじゃなくて、ピッチ外でのことも考えての決断なんだ。しばらく街を離れてみるのは俺にとって良いことだと思う。リバプールは故郷だし、この街は大好き。でも時に難しいこともあるんだ。夢を叶えてくれたこの街での経験は何にも変えられない。文句を言っているわけじゃなくて、この街にいる犠牲もあるってこと。リバプールの選手としてこの街に住むのはマイナス面もある。家を出て、カフェや食事に行ったり、子供たちを公園に連れて行ったり、学校行事に出たりなかなかできない。そういう小さなことなんだけど辛いこともあるんだ。」

「それにあれやこれやとスティーブン・ジェラードの噂が飛び交うようになった。何か違うことに挑戦するのも悪くない。新しい国で新たな文化で。子供たちに新たなことを経験させることができる。気づかれずに出かけられるのはいいもんだろうな。」

「国内、欧州、アジア、アメリカ…オファーはたくさんもらったよ。リバプールを去るべき時が来たって決めた時に、国内と欧州のクラブには行かないと決まってた。リバプールと対戦するなんていう状況は絶対嫌だった。国内でなくとも欧州内なら大会で当たる可能性はある。それに欧州のビッグチームで偉大な監督のもとでやりたいなら、リバプールにそれが揃っているだろって思った。それは自分の求めていた変化じゃなかった。アメリカの魅力はライフスタイルも文化も違うってところだった。」

ティエリ・アンリはニューヨークに移籍後、ウィンターブレークにアーセナルに戻り練習をした。ローンで戻る可能性が噂されているが、その可能性はあるという。

「ローンについては考えたことない。誰ともそういう話はしていないから、なんともいえないよ。MLSでは冬にブレークがある。言えるのは、自分のフィットネスを維持するために選手たちと一緒に練習できるなら、戻ってきたい。それがクラブでまたプレーすることになるのかどうかはよくわからないけど。それは俺が決めることじゃない。ほかの人が決めることだ。」

リバプールの英雄でいるのは重荷ではなく名誉。生まれた時から死ぬまでリバプールファンだ。

「このプレッシャーを重荷だと感じたことは一度もない。大きな重圧と責任がのしかかっているけど、俺はそれを喜び、楽しんできた。このクラブでこれだけ長くキャプテンをさせてもらえて本当に名誉だし、それは最後まで変わらない。俺は死ぬまでリバプールファンだ。夢を生きてこれたんだ。」

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